🍀「バチが当たるよ」と言われて育った私の、今の答え

幼い頃、私はよく
「悪いことをしたら、神様が見ていてバチが当たる」
と言われて育ちました。

子ども心に、その言葉はかなり効いていて、
神様という存在は、雲の上から双眼鏡で私の行動を逐一チェックしている、
そんなイメージを本気で持っていました。

だから、
・人のものを勝手に触らない
・ズルをしない
・悪いことを考えない

……というより、
「見られているからやめておこう」
という感覚の方が近かったかもしれません。

そして自分が親になると、
なんと私も同じ言葉を使っていました。

子どもが言うことを聞かない時、
説明する余裕がない時、
とりあえず止めたい時。

「そんなことしたらバチが当たるよ」

今思えば、
子どもを諭すというより、
自分を助けるための魔法の言葉だった気もします。

当時読んでいた育児書にも、
「悪いことをしたらバチが当たると伝えるのは有効」
といったようなことが書かれていて、
私はそれを都合よく採用していました。
正しい使い方ではなかったです。

でも大人になってから、
「因果応報」という言葉を知ったとき、
ふと腑に落ちたんです。

ああ、
バチが当たるって、
これと同じことなんだな、と。

いいことをすれば、いいことが返ってくる。
悪いことをすれば、悪いことが返ってくる。

神様が罰を与えるというより、
自分の行動が、自分の未来を連れてくる
そんな考え方の方が、今の私にはしっくりきました。

「バチが当たるかな?」ではなく、
こんなふうに自分に問いかけています。

人のものを取っていないか。
(もちろんしていない)

人を傷つけていないか。
(わざとではないけれど、知らないうちに…はあるかもしれない)

嘘をついていないか。
(自分の欲のため、人を騙すための嘘はついていない)

こうして考えてみると、
「バチが当たる」という言葉は、
子どもを脅すための言葉というより、
人として生きていくための、かなりシンプルな指針だったのかもしれません。

怖がらせるための言葉ではなく、
自分の行動を振り返るための合言葉。

そう思えるようになった今、
あの言葉の見え方が少し変わりました。

……とはいえ。

ここまで書いておいて、
最後に正直に言います。

私は、
クリスチャンではありません。
そして、嫌いな人の悪口言っちゃってます・・たまに・・。

神様に見張られていなくても、
今日もなるべく、なるべく、
バチが当たらないように生きています。

たぶんそれが、
今の私なりの、ちょうどいい距離感です。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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