夕焼けと、おにぎりの記憶
母方の祖父母の家は、車で5分ほどの場所にあった。
母が幼い頃、祖父母の家は人を雇うほどの大農家だったそうだが、私が生まれた頃には、二人で管理できるくらいの畑で、野菜を育てていた。
祖父は毎朝とても早く家を出て、昼に一度帰宅する。
昼食をとり、少し昼寝をして、また午後の畑仕事へ出かけていく。
夕日で空がオレンジ色に染まる頃、ようやく帰宅し、それから自宅裏の畑の手入れをするのが日課だった。
ようやく家に入り、お風呂に入る。
風呂上がりには、台所の開きの中にある一升瓶から日本酒を注ぎ、コップに一杯。それが祖父のささやかな楽しみだったようだ。
口数の少ない祖父だったが、従兄弟たちが集まると、戦争の話をしてくれた。
空腹のあまり、亡くなった人の肉を食べた人を見た、という生々しい話もあり、幼い私は怖くて仕方がなかった。
祖父の得意なことはハーモニカ。
夕焼け小焼けを、よく聴かせてくれた。
祖母は、午後になると祖父と一緒に畑へ出かけ、夕方に戻ると夕食の支度を始めた。
煮物や漬物作りが得意で、台所にはいつも落ち着いた空気が流れていた。
私が小学生の頃、習い事がある日は学校から祖父母の家に帰っていた。
「ただいまー」と声をかけると、祖母は「おかえり」と言いながら、おにぎりを握ってくれた。
中身は覚えていない。
けれど、背丈の割に手の大きかった祖母のおにぎりは、おやつにしては大きくて、一つでお腹がいっぱいになった。
あのおにぎりのおかげで、空腹のまま習い事に行ったことは一度もなかった。
習い事が終わると、また祖父母宅に帰り入浴や夕食も済ませていた。
祖母と食事をしていると、祖母は大きな手で私の頭を撫でてくれた。
「よく食べるね」と嬉しそうに。
私は、それが嬉しくて、嬉しくて、何度もおかわりをした。
母が迎えに来るまで祖母とは色々な話をした。
小学校高学年になる頃には、足腰が弱くなった祖母の代わりに、台所の床の雑巾掛けをしたり、皿洗いも手伝った。
父方の祖父母と比べると、お小遣いをくれることは少なかった。
当時の私は、「こっちのおじいちゃんとおばあちゃんはケチだ」なんて、ひどいことを思ってしまっていた。
でも、大人になった今、思い出すのはお小遣いの記憶ではない。
夕焼けに照らされながら畑から帰る祖父の姿。
自分でおにぎりを握るたびに思い出す、祖母の大きなおにぎり。
夕日を見ると、あの頃の風景がよみがえる。
母方の祖父母の家は、私たち兄妹にとって安心できる場所。
そして、思い出すたびに心があたたかくなる、そんな場所だった。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。


コメント