🌊父方の祖父母「働き者の祖母と、書道が得意だった祖父の記憶」ー波瀾万丈ライフ 番外編

父方の祖父は、若い頃は小さな建築会社を営んでいたそうだ。
けれど、私の記憶にある祖父は、いつもテレビの前でタバコを吸いながら、お酒を飲んでいた人だった。
年金生活になる前から仕事をしていなかったらしい。
背が高く、がっちりとした体型。意外なことに、書道の師範の資格も持っていて、私が書道教室に通っていた頃には、お手本を書いてくれたこともある。

祖母はというと、働かない祖父の代わりに、親戚の土木会社で働いていた。
若い男の人たちを束ねるほど、気が強くて男まさりな人だった。
体の割に手が大きく、節くれだったその手は、まさに「働き者の手」だった。

夕食を済ませると、祖母は毎晩どこかへ出かけていった。
小学生になった頃から、私もその行き先に連れて行ってもらえるようになった。
近所のお稲荷さんだ。毎日毎日、祖母は何をお願いしていたのだろう。
あの静けさが少し怖くて、私はいつも祖母の手をぎゅっと握っていた。

祖母の家に泊まるときは、同い年の従兄弟もたいてい一緒だった。
祖母は毎回、私たちにお小遣いをくれた。
そのお金を握りしめて駄菓子屋へ行くのが楽しみだった。
くじを引いたり、10円の駄菓子をたくさん選んだり——あの時間は、宝探しのようだった。

私の記憶にある祖母は、「いつもお小遣いをくれるおばあちゃん」だった。
「お小遣いをくれる大好きなおばあちゃん」と言いたいところだけれど、
時々、胸がきゅっと痛くなる記憶もある。

それは、祖母が従兄弟と私との対応に、少しだけ差があったことだ。
痩せ型で小柄な従兄弟はおんぶしてもらえるのに、
私は「〇〇(私)は重たいから歩いて」と言われた。
確かに従兄弟と比べると私は、少しぽっちゃりしていたかもしれない。
でも、あの一言が小さな私の心にはずっと刺さっていた。
その記憶がこびりついて、思春期の頃には
決して太ってはいないのに「私は太っているんだ」と思い込むようになってしまった。
今振り返ると、それは祖母の何気ない言葉のせいだったのかもしれない。

祖父母の家までは車やバスで行かなければならない距離だったが、
うちには車がなかった。
「タクシーでおいで。着いたらおばあちゃんがお金払うから」
そう言われると、子供ながらに“なんだか贅沢だな”と思いながら、
ひとりでタクシーに乗って祖父母宅へ向かった。

母たちの会話をこっそり聞いたことがある。
「昔は仕事も繁盛してたみたいでね、箪笥の引き出しに札束がぎっしり詰まってて、閉まらなかったらしいのよ」
「でもお金の使い方がわからなかったみたい。借金もたくさんあってね。お嫁に行った翌年の元日から、借金取りが家に来たのよ、びっくりしたわ」
——そんな話だった。

そんな親を見て育った私の父も、
同じように「お金」で苦しむことになるのだ。

帰り際、玄関で靴を履いている私に、祖父母はいつも同じ言葉をかけてくれた。
「お母さんの言うことを、ちゃんと聞くんだよ。」

今になって思えば、あれは“家族のつながりを大切に”という、祖父母なりの優しい教えだったのかもしれない。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

・・次回は、母方の祖父母の記憶をたどります。

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