「おばあちゃん、犬の名前まで出てきたよ」
先日、娘が笑いながら言っていました。
「おばあちゃん、私を呼びたい時にね、
ママとか、おじちゃんとかおばちゃんとか、全部違って、
最後には飼ってた犬の名前まで出てきたんだよ!」
……うん、それ、知ってる。
私も昔、まったく同じ経験をしている。
だから娘に言いました。
「あなたのひいばあちゃんも、まったく同じことしてたよ〜」と。
そして思いました。
“名前が出てこない遺伝”って、確実にある気がする。遺伝なのか・・。
祖母の「えーっと、あら、誰だったかしら」
私の祖母もとても優しい人でした。
でも、名前が出てこないときの“あの間”が長い。
こちらをしっかり見つめてるのに、なかなか出てこない。
「私は〇〇だよ」って言うと、
「あぁ!そうそう、〇〇ちゃんだった!」と満面の笑み。
その瞬間、「覚えてくれてた〜!」みたいな喜びがあって、
子どもながらになぜか得した気分でした。
今思えば、“脳トレごっこ”に付き合ってた孫時代です。
そして気づけば、私もそのポジションに。
最近の私はというと……
職場で後輩に声をかけようとして、
「あの……ほら、えっと……違う、そっちじゃない!」と迷走。
最終的に「えーっと、誰だっけ!?」と開き直ると、
「私です!」と笑いながら教えてくれる後輩。
その瞬間、ふと祖母の顔が浮かぶ。
あぁ、私、もう立派に“おばあちゃん化”してるなって実感します。
スーパーで出会う“脳内クイズ大会”
一番焦るのは、スーパーで偶然会ったママ友。
「〇〇ちゃん元気?」って言われた瞬間、心の中でパニック。
“誰だっけ?どこの〇〇ちゃん?え、息子?娘?部活?幼稚園??”
思考がフル回転。
結局、笑顔で「元気元気〜!」って言うけど、
内心はカンペなしの早押しクイズ大会状態。
相手が覚えてくれてる分、こちらが忘れてると、
ちょっと申し訳ない気持ちになるんですよね。
だから最近は、知り合いを見かけても
“知らないふり”を選ぶことも増えました。
だって、その方が心が平和なんです。
名前が出てこない=人が多い証拠
でもね、最近は思うんです。
名前が出てこないのは、
それだけ心の中にたくさんの人がいるってこと。
祖母も、私の名前を探すまでに
きっと家族や友人、昔の思い出をぜーんぶめくってたんでしょうね。
あの「えーっと…」の時間は、
人生アルバムをめくる時間だったのかもしれません。
年齢を重ねるって、ちょっと笑える進化かも
今ならわかります。
祖母が名前を間違えても、私は全然嫌じゃなかった。
むしろ、「あぁ、いっぱい愛してもらってたんだな」って思える。
そして今、私が誰かの名前を間違えても、
「もう〜、おばちゃん!」って笑ってくれる人がいる。
それって、けっこう幸せなことかもしれません。
🪴まとめ
年齢を重ねるって、
昔の誰かの気持ちが、やっとわかるようになること。
「名前が出てこないおばあちゃん」だった祖母も、
きっと今の私を見て笑ってるはずです。
「ほらね、あなたもこっち側に来たでしょ?」って。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。


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