🌊『タバコの匂いと父の影』

小学校から帰って、玄関のドアを開けた瞬間、むわっとタバコの匂いが鼻をついた。
誰も吸わないはずの、あの匂い――ああ、また来てたんだ。父が。

ランドセルを下ろしながら、私は少しだけため息をついた。
いつものように、姿はもうない。
いなくなったはずなのに、何事もなかったかのようにふらっと現れて、誰にも何も言わずに、またいなくなる。

何しに帰ってくるの?
何も解決してないのに、匂いだけ残して。

幼いながらに、心の奥でくすぶるものがあった。
それが怒りなのか、寂しさなのか、うまく言えなかったけれど――
私はその感情を、ぐっと飲み込んで、顔には出さなかった。

その日は、母も黙っていた。
私も何も聞かなかった。
聞いたところで、何も変わらないって、子どもながらにわかっていた。

でも、知らないふりをするには、心の中がざわざわしすぎた。
匂いって、嫌ですね。目に見えないのに、思い出を一気に引き戻してくる。

私の中の「父」は、姿じゃなくて、タバコの匂いで記憶されている。
そしてそれは、安心じゃなくて、混乱と怒りの記憶。


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