祖母の告別式が終わり、実家に戻った。
私は、あの人との再会で起きたことを兄に話した。
すると兄が、「今まで話してなかったけどさ……」と、信じがたい話をし始めた。
「親父が亡くなる前に何度か病院に顔を出したときに俺にこう言ってたんだ。
(※父はもう数十年前に病気で亡くなっている)
『本当はお前たちの家に帰るつもりでいたんだよ。でもそのたびに、あいつが”別れるなら死ぬ”って騒ぐようになって、もう手がつけられなくなってた。子どもが生まれてからは”この子も殺して私も死ぬ!”って言うようになった』って」
私は思わず言い返した。
「そんなの、嘘に決まってるよ。
私たちに恨まれたまま死ぬのが嫌だっただけじゃないの?子供まで作っておいて」
兄は少し黙ってから、
「いや、多分、本当なんだと思う」と返した。
すると、横で聞いていた母が言った。
「彼女が“死ぬ”って言うのは、いつものことだよ」
母の言葉に耳を傾けると、こんな話をしてくれた。
あの人は、もともと父の弟(私の叔父)の彼女だった。
その叔父と別れ話になったとき、彼女は「死んでやる」と騒いだ。
そのとき叔父は困り果てて、「あいつが死ぬって騒いでる。なんとか納めてくれ」と父に助けを求めたという。
父が説得に行くと、今度は叔父への腹いせのように、父を取り込んだらしい。
……なにそれ。そんな軽々しく死を言うような人のために父は振り回されて、その挙句に私達は捨てられたのか。
思わず笑ってしまった。
いや、だって、それって「帰れなかった理由」になるの?
その間、お母さんがどんな思いでいたのか……。
それを思うと、なんだかもうおかしくなってしまった。
すると兄が、少しだけ懐かしむような声で言った。
「親父、”お前たちにはちゃんとした母と祖父母がいるから大丈夫だろう”って考えてたみたい。しばらくしてからは、もう帰ることを諦めるようになったって話してたわ」
え?そんな理由で納得ができたの?
その時の私には納得はできなかった。
それが父の彼女に対しての「優しさ」だったのかもしれないけれど、
私には、自分のやってきたことの責任も取らず(借金も含め)、逃げ続けたただの未熟な大人としか思えなかったから。
父の借金を肩代わりしてくれた祖父に、感謝や謝罪の言葉を伝えることもなく、祖父母が亡くなっても、父がお線香をあげに来たという話は聞いたこともない。
母にしてみれば、自分が父と結婚したことで、どれほど実家に迷惑をかけたかを思えば、生活費の援助を頼むなんてできなかったのだと思う。
しかし、そのおかげで、母は自立し、自分の力で生きていく術を手に入れた。
もしも父と一緒にいたら、あの人のように、病気がちな父に寄り添いながら、どこか曇った表情で生きていたかもしれない。
そこでようやく納得ができた。これで良かったんだな、と。
ずっと逃げてばかりの父を心の中では責め続けていたけれど、
今はもう違う。
そして、あの人の存在が、私の心を痛めつけることもない。
…あの人に対する感情は、もう「無」だ。
幼い頃から、父の不在を寂しいと強く感じた記憶がない。
それは、私のそばにはいつも、祖父母や母の弟妹たち、従兄弟たちがいてくれたから。
心配し、見守り、時に叱ってくれる――
あたたかく支えてくれた人たちのおかげで、今の私がいる。
そっか……私は、恵まれていたんだ。
これからも、そんな周りの人たちへの感謝の気持ちを忘れずに、過去に囚われず、自分の人生を、自分の足で歩いていこう。
『ごはんもあった子』だったから。
【あとがき】
この物語を書き始めたのは、「自分の中で終わりにしたい」と思ったからでした。
過去の苦しみや怒りを、どうにか整理したくて、書きながら少しずつ手放していけたような気がしています。
書くことで、自分の気持ちや記憶を俯瞰して見ることができた。
それは、想像していた以上に私の心を癒してくれました。
時折、文章を書きながら泣いたことも良かったのかもしれません。
そして、誰かが読んでくれていると感じることが、こんなに力になるとは思ってもいませんでした。
私のように、過去に囚われて負の感情が蘇ってしまう方がいたら、文章にすることをお勧めしたいです。
心の整理ができると思います。
忘れられない記憶や自分の過去とも向き合いながら、これからも、のびのびと生きていこうと思います。
本編では時系列が前後した部分も多く、理解しづらかったかもしれません。
記憶と心を頼りに書き進めたため、少し行きつ戻りつの形になりました。
最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。
ーーー実は、私達家族には継続している過酷な話があります。
それは、また私が「書こう」と思える時が来たら綴りたいと思っています。
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